旧優生保護法裁判 最高裁大法廷判決に関する会長談話
2024年(令和6年)7月4日
兵庫県弁護士会
会 長 中 川 勘 太
昨日、最高裁判所は、旧優生保護法による強制不妊手術を受けた被害者が国に対して損害賠償を請求した事件で、国の賠償義務を認める判決を言い渡しました。
判決は、旧優生保護法について、特定の障害等を有する者が不良であるという評価を前提に、その者、または、その者と一定の親族関係にある者に不妊手術を受けさせることによって、同じ疾病や障害を有する子孫が出生することを防止することが立法目的であったとし、そのような目的が正当とはいえないことは明らかであり、特定の個人に対して生殖能力の喪失という重大な犠牲を求める点において、個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反し、また、一定の者を不妊手術の対象者と定めることは、合理的な根拠に基づかない差別的取扱いにあたることから、憲法13条及び14条1項に反するとし、同法に係る立法行為が違法の評価を受けると判断しました。
その上で、判決は、国会において、1948年(昭和23年)から1996年(平成8年)まで約48年もの長期間、国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な不妊手術の規定が設けられ、多数の者が重大な被害を受けたことに関する国の責任は極めて重大であること、被害者において除斥期間内に損害賠償請求権を行使することは極めて困難であったこと、平成8年に不妊手術の規定が削除された後、国に対しては補償の措置を講ずることが強く期待される状況であったにもかかわらず、補償しないという立場をとり続けてきたことからすると、国が除斥期間を主張して損害賠償責任を免れることは、信義則に反し又は権利の濫用として許されないとして、従来の除斥期間に関する判例を変更したうえで、国の賠償義務を認めました。
国の賠償義務を全面的に認めたこの判決は、国がいまだに責任を認めようとしない姿勢を厳しく糾弾したものと言えます。
そもそも、旧優生保護法のいう「不良な子孫」とは一体何なのでしょうか。
障害や疾病があってもなくても、我々はみな同じ人間であって個人として尊重されるべきものです。そのような基本理念が日本国憲法には明記されています。
しかしながら、最高裁判所が指摘するとおり、明らかに憲法の基本理念に反する法律が、1948年(昭和23年)の立法当時、国会において全会一致で制定され、1996年(平成8年)まで48年にわたって存在し続けました。法律が改正された後も、国は現在に至るまで被害者らに対する補償を行ってきませんでした。
我々弁護士も、在野法曹として、もっと早期に声を上げるべきではなかったかと反省しなければならないと思います。
兵庫県の被害者のお一人は、最高裁判所において、「こんなことは、もう私たちで終わりにしてほしい」と、別の被害者は、一審の神戸地方裁判所において、「同じ苦しみの人が『私も苦しい』と言えるように、裁判所には国の誤りを認めてほしい」と訴えました。さらに別の被害者は、最高裁判所において、手話で「私の声は、聞こえるでしょうか」と問いかけました。
当会は、最高裁判所が、被害者の訴えに耳を傾け、その被害に正面から向き合い、国の責任を認め、人権の砦としての役割を果たしたことを高く評価します。
それでも、今回の裁判で損害賠償が認められたのは、裁判を起こしたわずか11名に対してだけです。全国で見ても被害を訴え出た人は39名に過ぎません。記録に残っているだけでも25,000人いるという不妊手術の被害者は、名乗り出ることもできずにいるのです。
昨日の最高裁判所の判決に付された三浦守裁判官の補足意見においては、国に対し、「被害者の多くが既に高齢となり、亡くなる方も少なくない状況を考慮すると、できる限り速やかに被害者に対し適切な損害賠償が行なわれる仕組みが望まれる」と指摘し、今回の裁判の原告にとどまらない被害者全員に対しての救済を求めています。
国は、昨日の最高裁判所の判断を真摯に受け止め、全面的な解決に向けて舵を切って、長年にわたって苦しめられてきたすべての被害者に一刻も早く謝罪と賠償を行うべきです。
当会は、誰もが人間としての尊厳を保ちながら、一人一人が大事にされる差別のない社会に向けて、これからも努力を尽くして参ります。
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